スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--年--月--日 | スポンサー広告

【TAS】真・女神転生(1:04:37)

【TAS】真・女神転生(1:04:37)1/2【名前以外】‐ニコニコ動画(夏)【TAS】真・女神転生(1:04:37)2/2【名前以外】‐ニコニコ動画(夏)
真・女神転生のTAS動画。
追記回数1621回。


【TAS】真・女神転生(1:04:37)1/2【名前以外】



【TAS】真・女神転生(1:04:37)2/2【名前以外】



< 真・女神転生 >

『真・女神転生』(しん・めがみてんせい)はアトラスよりスーパーファミコン(SFC)用ソフトとして1992年10月30日に発売されたコンピュータRPG。

その後、PCエンジンSUPER CD-ROM²、メガドライブのメガCDに移植。さらに2001年5月31日にはプレイステーション(PS)版としてリメイクされ、2003年3月28日にはゲームボーイアドバンス(GBA)版も発売された。

i-revoにてSFC版をWin用に移植したソフトのダウンロード販売・レンタルも行われ、2007年2月からはSFC版がWiiのバーチャルコンソールでもダウンロード販売されるなど、女神転生シリーズでは最も多くの機種に移植された作品である。

過去にアトラスが開発してナムコ(現バンダイナムコゲームス)より発売されたファミコン用ソフト『デジタル・デビル物語 女神転生』と『デジタル・デビル物語 女神転生II』のゲームシステムを継承しつつ、アトラスの自社発売ソフトとして一から制作された作品。同社の看板タイトルである「真・女神転生」シリーズの第1作であり、後の「デビルサマナーシリーズ」や「ペルソナシリーズ」などの原点とも言える。

舞台は199X年の東京で、ゲーム発売当時(1992年)における近未来という設定。近未来とはいえ吉祥寺のアーケード街や病院、エコービルといった現代の日本をモデルにし、(当時のゲームソフトとしては)リアルに描かれた東京が再現されている。現実的な世界に悪魔が出現し、日常が徐々に崩壊していく様は当時一般的だったファンタジーRPGとは一線を画し、熱狂的なファンを生んだ。

ゲームシステムは悪魔との会話や悪魔合体といったファミコンで発売された女神転生シリーズ2作のものを継承しつつ、更に発展させている。前作では「魔王」や「邪神」といった「EVIL」属性の悪魔は仲魔にすることができなかったが、本作では条件はつくもののほとんどの悪魔を仲魔にできるようになった。

また、キャラクターデザインは女神転生IIと同じく「悪魔絵師」金子一馬が担当しており、ファミコン版のグロテスクさを強調したデザインから、硬質的でスマートなデザインの悪魔となった。地上の2Dマップと3Dダンジョンで構成されているが、地上の2Dマップは当時のコンピュータグラフィックスのイメージであるポリゴン風で描かれている。


< ストーリー >

199X年、東京・吉祥寺――。 ある日、主人公は不思議な夢を見る。見たこともない不思議な世界で起こる不思議な出来事。磔にされる少年、虐げられる少年、生贄に捧げられる少女…何から何まで現実離れしていて、よく分からなかった。目を覚ましても、現実離れした感覚は続いていた。井の頭公園での殺人事件を皮切りに不穏な出来事が続き、街には神話や伝説の中でのみ登場する悪魔が出現し始める。そして、パソコン通信の妙なメッセージからダウンロードした悪魔召喚プログラム。運命に導かれるがごとく、主人公の周りで何かが動き始める……。


< メシア教 >

メシア教会。救世主(メシア)の出現を信じており、その力によって世界が救われることを信じている宗教。「信じるもの 皆 救われる」と謳う。
秩序を重んじ、すべては法の下に管理されるべきであるとしている。基本的には物静かな態度で慈悲深く、人々に教えを説いていくような口調で他人と接するが、法に従わない者や救世主の出現を否定する者に対しては非常に厳しい態度を取る。
完全なヒエラルキー階級の下に成り立っており、秩序と平和はあるが個人の自由はないに等しい。
統制された世を乱す悪魔は彼らにとって邪悪な存在となるため、悪魔との共生を考えるガイア教とは対立している。
教徒は白地に青いラインの入った服装で統一されており、階級や身分によって服装が違う。

< ガイア教 >

ガイア教団。秩序や階級に囚われず、自然と一体化することを重要視している宗教。「生きる者はいつか死ぬ 形あるものはいつか壊れる」と謳う。
差別も区別もなく、管理を否定し全てのものと共存しようとしている。そのため現実的かつ実利的で、力のない者に価値を見出さず、救いの手を差し伸べない。
基本的に実力至上主義の団体で、自由はあるが秩序は存在していない。
悪魔の存在を許容し、共生していくことを考えているため、メシア教とは真っ向から対立している。
混沌を重んじる、というところからくるのか、ヤクザや反社会的な人物も多く、口調や物腰は荒々しく乱暴で暴力を振るうことも躊躇しない。教徒の中には暗殺を生業とする者もいる。
「弱者は救わない」ので、メシア教に比べると教徒が少なく規模も小さい。


< 属性 >

主人公を含む主要登場人物・悪魔は大きく分けて、法と秩序を重んじるロウ(Law)、自由と混沌を重んじるカオス(Chaos)、どちらにも属さず行動するニュートラル(Neutral)の3つの属性が設定されている。特に主人公のとる行動(例・倒したボスに止めを刺すか刺さないか、秩序を重んじるメシア教に力を貸すか、混沌を重んじるガイア教側に付くか、あるいはどちらにも与さず双方を敵に回すかなど)によって主人公の属性がその都度揺らいでいく。なお、主人公の属性はフィールド画面での自分のキャラクターアイコンの回転方向・速度によって、現在の属性がどちらに傾いているのかを大まかに判断することができる。自分がどの属性に属しているかでシナリオやエンディングが異なっていくのは『真・女神転生』の大きな特徴、魅力である。

登場人物や悪魔の印象から「ロウ=善」・「カオス=悪」とみられがちだが、あくまでも秩序と混沌、どちらのスタンスを重んじているかの違いでしかない。そのため、ロウが一般的な意味での善、カオスが悪というものではない。その点については別にライト(Light)・ニュートラル・ダーク(Dark)の3属性が設定されている。つまり、よく対比されるウィザードリィの善悪属性とはやや異なる。
攻略本等に頼らずプレイした場合、ドラゴンクエスト等の一般的なRPGに慣れたプレイヤーは、困っている人がいれば助けるし、神の依頼を受けてしまいがちである。そのため、自然とロウ属性寄りとなる傾向があり、そういった遊び方の逆のことができることをおもしろがってプレイするとカオス属性に寄ることになる。もちろん、あえてどちらの側にも与しないこともできる。

ドラゴンクエストなどの、いわゆる勇者が魔王から世界を救うといった類型的ゲームに対するアンチテーゼであるのか、本作においては、神はしばしば無慈悲な行いをするし、ロウ側のストーリーではいささか神はひどい存在だ、と思わせがちである(もちろん、聖書を出典としているので、もともと神は無慈悲なものであるが)。つまり、真・女神転生シリーズ(特にIとII)は神や勇者などの言うとおりにしていればいいわけでもない、というメッセージを暗に含ませている。そのことは、次作IIでの舞台設定がロウ側であるメシア教が支配している世界となっていること、そこから主人公が脱却する展開になっていることからも垣間見ることができる。つまり制作者側の意図としては、普通にプレイするとロウ寄りになるが、それ以外の展開を自力で見つけて、自分で判断することの重要さを説いているともいえる。
固定観念の善悪だけでなく、それぞれの立場・状況によって正しいことは変わってくる、それを選ぶのは神でも悪魔でもない、人間である、というのがシリーズの根底に流れるテーマである。

【Wikiより】
スポンサーサイト
2008年07月18日 | ゲーム@趣味 | コメント(0) | TAS動画
コメント

管理者だけに表示する

ランダム記事

カテゴリー

オススメ

プルダウンリスト

アクセスカウンター

ブログ内検索

ゲーム@趣味

ゲーム@趣味について

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。